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感動について (丑三つ時にでてきた落書5)

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bysos-ei  on3/4 03:35 2010

☆感動とは一瞬の間、心を真空にすることである。

☆広辞苑によれば、感動とは「深く物に感じて心を動かすこと」となっている。「心を動かす」とは能動的な意味ではなかろう。寧ろ受動的な意味のはずである。物に感じた結果、心を動かされるのである。「心を動かされるほど深く物に感じること」と言い換えるべきであろう。感じることが能動的であり、心を動かすことは、受動的なのである。

☆「心を動かされる」のは、「深く物に感じること」によってである。では、「深く物に感じる」べき主体は、一体何なのか。何が物に感じると言うのか。心以外にはあり得ない。では、「心が深く物に感じる」とはどういうことであるか。それは、心が対象に奪われてしまうことであり、同時に心が対象を奪い取ってしまうということでもあるのだ。

☆感動とは、「心を動かされるほど深く物に感じること」と定義した。心を動かすというのは時間的であるのに対し、感じるということは、ここでは刹那的意味合いを持つ。感動は瞬間的である。

☆瞬間的に心は対象に奪われるのである。その「瞬間」は真空であり、何も知らない。自らが心であることも知らないのである。その「瞬間」がなくなった時に心は姿を現し、その「瞬間」に動かされて、はじめて心は、その「瞬間」が何であったかを知ろうとするのである。すなわち、感動が何であったかを。

☆「心を動かすことは受動的である」と言った。
「心を動かす」とは、心に渦を起こすことである。
或る一つの真空なる瞬間、すなわち合一化された主客が、分離することににより、心に渦を起こすのである。その意味において心は「動かされる」のである。そして動かされることによって、「深く物に感じたこと」を知るのである。すなわち、感動したことを。

☆渦はやがて、自ら進むべき方向を模索し、心の安定を企ろうとする。人はその過程において、しばしば何かを発見する。
その活動はもはや、積極的能動的なものなのである。その時、心は、創造的発展を志向して止むことを知らない。

☆感動は、発見の母であり、創造の父である。

☆感動は、真空であるどころか、ブラックホールに似たものであるかもしれない。

 

 

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