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蟻と人間 (丑三つ時にでてきた話3)

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bysos-ei  on3/7 01:10 2010

☆蟻も人間も戦争をする。同じ種同士で徒党を組んで殺し合う。

☆蟻も人間も高度に組織化された社会を持っている。というのは、もっともらしい嘘である。いやしくも社会と呼ぶためには個体が組織化されたものでなくてはならない。

☆蟻が社会的動物にならないという主張をするために、私は少しの間、科学者になって言おう---我々が一つ一つの蟻を個体だと思っているのは間違いである。蟻の巣全体が一つの個体なのである。一見何千匹にも見える一つ一つの蟻は実は、人間でいえば一つ一つの細胞に等しいのである。働き蟻は手の細胞、兵隊蟻は足の細胞というふうに。そして女王蟻は心臓とか卵巣とかに当たるのだろう。一つ一つの蟻が作っているのは、社会ではなく生体なのである。

☆今度は少しの間、哲学者にでもなってみよう---社会における個体各々が、個体といえるためには、各個体が社会を所有(共有)していなければならない。所有(共有)されることによって社会は、はじめて社会たりうるのであって、社会が我々を所有(共有)することによるのではない。もし、それを否定する者があるなら、ためしに死んで見るがよい。確実に社会は消滅するはずだ。いや、地球ごとぶっ壊してみる方が理解しやすい者もあるかもしれない。そうすれば数十億の社会が無くなることが・・???
個体が組織化されるということは、各個が全体を所有(共有)することにより有機的に関係づけられるということである。

☆詩人ならどう言うだろう---蟻は数千匹で、その光を受けて一つのモザイクのような月を醸し出しているが、人は瞳に完全な姿をした月を宿していない者はいない、とでも言うのだろうか。

☆最後に落書家が言おう。
社会を持っている生き物は強い。だが、強い生き物が社会を作ったのではない。弱小であるが故に、社会を作ることによって強くなったのだ。
では、一個の人は弱小であったか。多分そうだろう。
では、一個の蟻は弱小であるか。否、蟻は巨大である。マンモスよりもクジラよりもはるかに巨大である。一見小さく見えるのは、人間を含めた他の生き物の目を逃れるためにカムフラージュしているのである。人体の成分の55%だかが水であるそうだが、蟻の体の成分の大部分は、実は空気なのである。フェロモンを撒き散らされた空気は、数千匹の蟻の体と有機的に繋がっているのである。形さえ必要としない巨大な妖怪のような彼らに何で社会などの必要性があるだろうか。
一つの巣を中心にフェロモンを漂わせている巨大な空気の図体を数千匹の蟻が足となって運んでいる姿を想像してみたまえ、そんなものが、もし社会だとしたら、蟻も人もアナーキストにならない者がいるだろうか。

 

 

 

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