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宛先のない手紙

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bysos-ei  on3/13 03:37 2010

 
 前略 やはり、UFOはいるのですかねえ。一月くらい前、夜中の二時半頃、飛行する物体を見ました。尾道付近の某島上空、普通の星だと思って眺めていたら急にゆっくりした速度で動き始め、そのまま小さくなって消えてしまいました。時刻からしても、点滅していないことからみても、飛行機ではないことは確かなのですが、特別怪しげな発行体でもなかった。動かなければ、天空の他の星星と何ら変わることのない二等星くらいの白い発行体。10年近く前だろうか、望遠鏡の中に一度だけ同じような奴が飛び込んできたことがあったが、肉眼でみたのは初めてのことでした。
 冷えすぎた頭の中に飛び込んでくるのは、UFOだけではない。夢の中に飛び込んで頭を悩ませた奴がいます。そいつはちょっと形容し難いが、四面とも時間の鏡でできている小さな箱状のもので、底も蓋もやはり時間で出来ていました。開いた蓋の中から現れた奴の顔の怖かったこと。それは煙となってすぐに消えはしたが、その煙をあまりににも強く吸い込んだため、いまだにその恐怖の後遺症を引きずっているのが現実なのです。
 
「お父さん、人間を作ったのは神様だって言うことは知っているんだけど、その神様を作ったのはだれなの?」「さあねー、難しい問題だね。園長先生にでも訊いてみたら。」「うん、こないだ訊いてみたんだけど・・神様はそのことは、まだ何も言っていないんだって。園長先生、今度、神様に会ったとき、そのことを訊いてくれるかなあ?」
 実は僕もその答えを待っていたのですが、待つことに、いや、そんなことを果たして知らなければならないものかどうかに疑問を持ち始めているところです。
 多分、一神教で言うところの神が人格神であるならば、それはやはり、宇宙人か何かで、その神が地球に立ち寄った際に、地面に立ちションしたら粘土ができたので、それをこねて拵えたのが最初の人間なんでしょう。だから、その場合、人間は創造されたのではなく、制作されたことになる。勿論、DNAとかいう息を吹き込まれたとしてもです。
 それならば、既存の宗教でいう神のあの恣意的、権威的でおしつけがましい態度にも頷けるというものです。また、宗教戦争などというものが地球上にいつまでもあったとしても不思議ではないはずです。
 もし、既存の宗教で言うところの神が、その程度の次元のものであったとしたら、その次元を超えた万物の創造者たる「真の神」が必ずいるはずだ、と考える人間がいて、それが酒をチビリチビリやりながらコーランを読んでいるイスラム教徒であったり、マルチメディアに奔走するヒンズー教徒、烏賊の刺身を喰うユダヤ人、心中趣味のキリスト教徒であったとしても、彼らを不信心な輩だと決めつけることができるでしょうか。勿論、その筋からからのお叱りは避けられないところでしょうがね。
 現に人間がいまここに存在して、その存在を人間自身が創ったものでない限り、創造者はどこかにいる。しかし、その正体は不明だ。人間にとって不可知のものであるからこそ、それを神と呼び畏れるのではないでしょうか。
 神は数学でいうX。たとえ、Xの解が得られなくとも、方程式は存在する。その方程式を使って、より高次元の方程式を作りだしてゆくことはできる。それが生身の人間に出来る唯一精一杯の信仰のように思えてなりませんが・・何しろ寒の戻りがひどいなかで震えながらの執筆なもので・・悪しからず。南無釈迦無尼仏。草々

 

 

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